昭和44年06月25日 朝の御理解



 御理解 第4節
 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」

 天地金乃神のおかげを受けられるようになったとは、天地金乃神のおかげを受けられるようになったとは、どういうおかげを受けられるようになったのであろうか、信心はせんでも世界中の氏子におかげはやってあると仰せられる。だからそういうおかげならば信心はせんでも頂いているのですから、天地金乃神のおかげを受けられるようになった、此方金光大神の御取次ぎのおかげによって、おかげを受けられるようになったと、どう言う様なおかげであろうか。
 なるほど人間の様々な難儀の様相というものは、それこそ巷に溢れておる訳です。そういう難儀から一つひとつ解放されるというか、そういうおかげを願い、お取次ぎを頂き、そこから助けてもらうおかげ。けれどもそういうおかげは、天地金乃神のおかげとは言えんのじゃなかろうかと私は思う。そういうおかげなら今迄過去の宗教というか、沢山な宗教を見てもおかげを受けておるのである。天地金乃神のおかげを、勿論天地金乃神のおかげを受ける訳ですけれども。
 天地金乃神のおかげを受けれるというのは、果たしてどういうおかげが頂けるのかと、そこんところをですね、「金光大神の言う言に背かぬ様に、良く守って信心せよ」とありますね。金光大神の教えて下さった事をよく守って信心したら、どういう結果になるであろうか、どういうおかげになって来るだろうか。ここんところをですやはりあのう、おかげを受けられた方達の信心を、辿らせて頂かなければ分らんと思うんです。金光大神の言う事に背かぬよう、いわゆる実意丁寧に信心をさせて頂いておられた方達。
 又おられる人達のもうおかげというのはどういうおかげか。私は思うですね。どんな場合でも安心しておれれる。どんな場合でも喜びの持てれるおかげ。しかもそれには勿論家繁盛子孫繁盛のおかげというのが、もちろん伴のうておりますけれども。それはただ付いておるもの、どんな場合でも喜べれる。どんな場合でも安心しておれれる、そういうおかげがです、天地金乃神のおかげになるんですよ。天地金乃神のおかげを受けられるようになったというおかげなんです。
 何故かというと私共はここにいわば、大きな親と神は我本体の親ぞと仰る。その自分の本体の親である神を分からせてもらう、教祖様はそれを教えて下さったんです。ですからそれが分かるということは、ちょうど乳飲み子が母親の懐に抱き抱えられておるような安らぎ、そういう天地金乃神のおかげを受けられるようになったとはそういうことなんだ。そこでです。私共がやはり元気な心で信心せよと仰る。本気に勇猛果敢とでも言おうかね、もうだからそこんところを通る事は。
 やはり月並みな言葉をもって言うなら、死に者狂いと言う様な潔さというものがないとね、ここんとこは分からん。いわゆる金光大神じゃねみやすいことばっかり言うてござりや良かですけれどもね、いかにもみやすう説いてあるようであっても、実際それを行じようということになると、非常にやはり難しいんです。難しいけれどもそれを行じ抜かせてもろうて自分のものにすると、後はやっぱりこんなにみやすいものであった。いやこんなに有り難いものであったということになるのです。
 「信心はみやすいものじゃが氏子から難しゅうする」と仰るのはそう言う事だと思う。例えば金光大神の教えを頂かれて、甘木の初代が様々に苦心をなさって、あの様なおかげの受けられる道を甘木の地方に開かれた。その中に例えば平田さん当りの様な信者が出来た出来られた。その金光大神の教え甘木の初代の信心を受けられてどの様な、信心が生まれたかというと、最近私がよく申します神、公、私と言った様な信心が確立された。これは私はそこん所を、一にも神様、二にも神様、三にも神様だとこういう訳です。
 しかもそれには押して押して押しまくるようなですね、信心ばかりはもう一にも押し、二にも押し、三にも押しだと言う様に、私はそういう勇猛果敢な心が必要なんです。次々難儀な言が起こって来ると、どうした言であろうかと言った様なもんじゃなくてです、これはまぁまだ信心が足らんからじゃと、そこをもういっちょ突き破って行くという勇猛心なんです。私はそう言う風に皆さんに聞いて貰ってる訳なんですけれど。平田さんは甘木の初代の信心を受けられてです。
 あの人の平田さんの信心のまぁ確立というならば、私は信、公、私ですかね、信ずる、おおやけ、わたくし、ですね。そういう信心が確立された。そしたら見て下さいこういうおかげを受けられるようになったと言う風に、皆さんにそれを示してそのうお話をされるだけのおかげを受けられた。ある人から聞かせて頂いたお話しの中にね、ナマコというのが有ります。あれは魚の部類でしょうか貝の部類でしょうか、ナマコと言うのがありますね。ナマコもう酒の肴にはもう天下一品と言う様な珍味です。
 けれどもご覧なさいあのグロテスクな格好ですかね、ダラーとしてもう皮膚はそれこそ象の鼻の様な肌をしておるでしょう、私は朝鮮ある意味で驚いた事は、もう子供でもあれをあのままですね、あのままいや何んにもつけずにがぶがぶ食べていましょう。なかの言わばあのジゴですねジゴも出さず。あのう中のあのうわたというのがコノワタなんです。、こりゃまた天下一品の珍味中の珍味ですよね。コノワタの言わばジゴがコノワタ。ナマコのワタが。
 あのう例えばナマコをです、一番初めに食べてみて美味しいと、例えばこれは食べられるぞと、食べられるどころかこれは大変な珍味だぞ美味しいぞと、私しゃ言うた人はもう大変な、それこそ勇気のあった人でろうという話を聞いた事があるんです。私は今日は御理解四節からです、そう言う様なものだということを感じさせて貰うんです。金光様の信心というのは、もう本当に有り難う頂けば天下一品の珍味だととこういう、それがどうでしょうね、そのナマコのようなものをこれを食べなならん。
 どげん思うても喉を越さない、見ろうごつもなか見ただけでエッち言うごたる、これば食べねばならんとは、なんと情けない事であろうか、それでも食べなならんと言うので、ちびちび食べとったんでは絶対あの味は分からんです。だから一番初めにあのナマコを食べた人は大変な勇気のあった人であろうと、金光様のご信心もそうです、勇気がなからなければ金光様のご信心は頂けんです。それをですね、ちびぃちび頂きよるけんしろぅしかです。美味しゅうないとです。天下一品の珍味と。
 天下第一の教えなりといわれる天下第一の教えとして頂けんのです。神様は無理な事言いなさるなぁと言う位の事しか頂けん、これ程信心するのになあと言った様な事にしかなって来ない。どうぞナマコでもね、一番初めに食べて人がです元気な勇猛心であったろう、とにかくもう本当に食べてみるという気にならなきゃ、そこんところを金光大神の言う事に背かぬよう、よく守って信心せよと教えておられる。どうでしょう中々そのうそこにはっきり平田さん当たりのように、体験というものを持って。
 そうして皆んなにこういうおかげ受けられるぞと言う事を言うておられる。いうならばもう金光大神、甘木の初代、そして平田さんと言う様にうにです、もう言うならば体験済みなんです。その人の言われる事ですらが、中々そんな訳にはいかんというて、私事を先にしたり、公な事を先にしたりと言った様な事で、神を先にとろうとしないじゃないか。本当に私は勇猛果敢な信心が望まれるのはそこなんです。そこで私が親先生任せとこう申しております。
 亀の背中に乗った浦島太郎のように、もうおかげは絶対だと私が言っておる。それは私が竜宮へ行ってみておかげを受けておるから言うのである。亀が知ってるんです。ですから亀の背中にさえ、もう外れん様にしがみついときゃいいのですけれどもですね、それを手を緩めたり外したりしてしまっておる訳なんです。私はそう言う風にここんところをまぁ言うておられますね。はぁ竜宮迄に行く間にゃ波の荒い所も通るね。金光大神の言うことに背かぬようによく守って信心するということは。
 私はですね、本当にあのう一番初めにナマコでも食べた人が、食べるくらいな勇気勇猛心がなからなければですね、頂けないということです。勿論この御理解第四節はですね、天地金乃神様が、氏子可愛いという思いを持っておられるけれどもね、これという自分の思いを打ち明けて頼まれるほどしの人がなかった。そこに金光大神いわゆる川手文治郎という、お百姓の実意丁寧な真心の篤い実直な氏子を発見された。そこから神の頼みということになり、本当に此方金光大神あって神は世に出たということをです。
 この金光大神のおかげで神は世に出たのであると宣言しておられる訳なんです。だから神からの恩人も氏子からの恩人も、此方金光大神であるというその事をですね。大体言うておられる御理解だと思いますけれども、その御理解の内容からですね、そんならその天地金乃神のおかげを受けられる様になったという、天地金乃神のおかげとはどういうおかげの事を言うておられるであろうかと言う事に。
 今日は焦点を絞ったんですね。只病気が治ってくれお金が儲かってくれ、家庭円満に只なってくれというだけではなくてですね。天地金乃神から金光大神に尽きぬおかげを話にして残しておくと仰った、その話とはどういう話であったか、それは私共が金光大神の言れる事に背かぬ様に、守って信心さえさせて頂いとれば、そこから生まれて来るものは喜びと安心である。だからそういやぁもうみやすい訳なんです。けれども実際なら金光大神の言われる事に背かぬように守るということはです。
 今日私はここんところをね、ナマコを初めて食べた試食してみた人の、くらいな勇猛心がなからなければですね、例えばちびぃちび食べられるけん食べて見なさい、と言われてから食べる位な事じゃですね、気色の悪うして食べられん。美味しかったっちゃ美味しい味は全然せんです。取分け中のワタなんかと言うものは、とても気色悪うして出さなきゃ食べられん。ところが実をいうたらその中のワタこそが、もう珍味中の珍味と言うのですもんねぇ。今迄の食べ物の中で三大の珍味と言われる程しの珍味なんです。
 そういうものを私共はよう食べんで、無駄にしておるように思う。金光大神の教えて下さる言は、もう耳にたこの出来るように聞きよるけれども、聞きよるだけで食べられると言う事は分かっとるけれども、どうも食べようとはしないと言う様な事では無かろうかと思う。これは教えを行ずると言う事にですね、元気な心を出すのです。お互い家庭生活ね又はその職場持ち場に於いてはね、只実意丁寧をもってする。そこには大らかな又は穏やかなねいわゆる和賀心、和らいだ心をもって。
 そこんところを間違えんようにしませんとね。教えに取り組むということ、教えを頂くということにいわば元気な心、勇猛果敢な精神が必要だと言っておられます。昨日一昨日から若先生が青年教師会で、ここでいつかありましたねぇ。一泊であぁ言う様な会が、あぁあすこ何んて何て教会ですかね渕上先生。久原、久原教会というもうある意味合いにおいては日本一ですね。あの丸少の育成ということやらね。少年松寿会が多いと言う点に於いても日本一です。
 4百5百からおるそうですもんね。大した事です。育成会館なんていうものはまるきり学校の講堂みたいなもんです。勿論信者に大変教育関係のひとが偉い人達がおりますし、学校の先生がもうズラリなんです。ですからもう学校あげてそのもう丸少に参加する訳なんですね。月に一回づつそのう宿泊してですね教会に、そういう大きな場所がありますから。そしてそこで丸少の教育をやるそうです。まぁ色々信心の非常に元気な迫力のある先生らしいですね。もう色はあくまで黒くて目はギョロギョロしてなさるそうです。
 もうそげん言よりました。もう本当に小倉の桂先生をほうふつする様な感じだって言うてそのうある先生が申しましたら大変喜ばれた。そうですかちゅうてからそのう桂先生に似とると言われてそのう喜ばれた。それでから帰って話しょうりました。それがそのう青年教師の方達に話された中にですね。私はね信心でこういう大きな教会を作ったんじゃないち言わっしゃった。もううちはもう絶対丸少のおかげだと言われたそうです。丸少のおかげでこういう会堂なんかも出来たんだと。
 非常に企画性に富んでおられる、そして我武者羅にいうならば非常に元気なそのう態度で、又は言葉でですねお話しでもなさるそうですが、もう本当にやっぱりそういう熱のあるそのう話には、若い者が本当に吸い付いていきたい様な、やはり魅力を持っておられるらしいですねぇ。そういう話をですね若先生から聞かせて頂きよりましたら、こう拳を握ってですねぇ片一方こうして握って、こうやってここにこうやってそのう言わば頑張っておられる所を頂くんですよね。
 いわゆる久原の先生の生き方なんです。こぶしを握ってこうやってこうやってそのう、まぁ言わば頑張っておられたころにゃね。いわゆるそのう、久原のせんせいのいわゆる生き方なんです。拳を握ってこうやってそのうまぁね、お話しするならするでも、その卓を叩いてとちゅうなですね、拳を握ってこうやって頑張っておられるとこじゃ、それが若い人達の魅力であるというか。けれどもよくよく考えてみると、これは私は批判する訳じゃないけれども。
 果たしてその何百の少年少女会の人達がどれ程金光様の信心が分かって、どれだけ成長して行くに従って青年になって行く、行くに従って信心が育っていっておるか、金光様の信者になっておるかというとこになるとこりゃ大変な疑問のようです。してみるとんならそれがですね枯れ木の、枯れ木も山の賑わいと言った様な結果にしかなりかねないです。人が助かる事さえ出来ればと言うのと、例えば少し離れておるような感じがする。そしたら次に私の手をこうやって私の手を見せて下さる。こちらに。
 久原の先生は拳を握って、こう卓を叩くような元気な、だから私が今日皆さんに、勇猛果敢な元気な心だと、こう言うのはねそれとは違うんです。教えに取り組む教えを頂くということ、ナマコを頂いたあのその、まぁ勇猛心とでも言う、そういう教えを頂くということに、信心の熱情を傾けようとこう言う、私にね。そして私はこれが信心の理想だと、現在私の信心の最高の信心だと、今は思っておることは、こうして言わばこう話きりに話ておる事です。最近私はこの前の夏期信行の何かの時にゃ。
 もう私がもう機会を捕らえて沢山の人達が集まって来ると、信行期間が始まったから参加しなさい。一辺でもいいから参加しなさい、十日でもよいから一週間でも良いからと言うて、私盛んに申しましたんですよね。ところが私は今度は月例祭の時決して申しませんでしょうが、参加しなさいと言うのは、もう私は話っきりに話ておるのです。参って来なさいとも言わなきゃ、修行しなさいとも言わんのです。こうあるがえぇあぁあるがえぇという思いを一遍捨て切ってしまってる。
 これは私がこうやって五本の指をこうしよる。そこでならこれはどう言う事になるかと言うと、いよいよ頂かんならんもんという時にはですね、それをもう見事にキャッチする事が出来るんです。いつも外しておりますからね、手をこうやって広げておりますから、いわゆるどういうことかというと、黙ってね黙って受けて黙って与えるということ。まぁ私はこれは私の現在の信心の最高のところの信心です。だからいわば拳を握って頑張れ頑張れと言うことは全然ない。
 ただ私がこうしてね朝晩に皆さんに聞いてもらいます御教え、これだけにはですねひとつ血道を上げよう、頂くと言う教えを頂くということにゃ一生懸命になる。あんたらん達にゃ食べさせん、私が先に頂いてみて、これは大丈夫食べられるというそれを、証明済みで皆んなに食べれと言っておるようなものなんですよ。そこに私はどちらがどうとは言えないですけれども、合楽の信心のいわゆる本命と言った様なものを感じます。そこから私はです本当に、天地金乃神様のいわば懐に抱えられておる程しの有り難いもの。
 いわば心の上に安心のおかげをだんだんだんだんですよね、完璧に頂いておる訳ではないけれども、段々それを強く頂いて行く事が出来ておると自分では思ってます。昨日は福岡の安東さんの所の、お子さんの三十年の式年祭がありました。長年信心されておりますけれども、初めて御霊様をここに預けてから、まぁそのう霊祭何かの時にゃまぁ一緒にこう、御霊をお預けしてますけども。一辺でも親としてお祭をしたと言う事がない。それを最近あのう御主人の方がね、一週間に一遍必ず家族中で参って見えます。
 最近はねしきりにそれを思われるんですね、子供が亡くなって今おるなら数えてみるならちょうど30になるが、今年はちょうど30年になるがと思うて、なんか頻りにそのうお祭りをしたいと言う気がする。でこの前のお参りの時にそのう、こちらの都合の良い時にして下さいと言う事であったから、なら昨日と言う24日と言う日にというて、ちょうど昼の御祈念が終わった後から、そのう準備に掛からして貰ってもう大変に盛大な、もう真心一杯こうなられて、もうそれこそご両親がこうつかえるもんですからねぇ。
 安東さん夫婦それに兄弟達までが集まりましてから、もう本当に思いを込めたそのうお祭りでございました。三時からだというのに、私が三時から腹がせきだしたんですよね。そしてもう便所にもうとにかく何回も何回も行くんです。あんまり私苦しいから便所の中でお腹を自分でこうやって押さえながらですね、もうそれこそ金光様こりゃもう時間になりますのに、もうこげな事じゃとてもお祭りは出来んと思いまして、一生懸命お願いさせて頂きましたら、便所の中で御理解頂くんですよ。
 生きた電気を扱えなかったら、電気工夫は一人前じゃないという御理解を頂いたんですよ。あのう生の電気ですね。生の電線です。生の電線をですね扱えるようにならなければ、一人前の電気工夫さんとは言えないそうです。しかし考えてみると危ない事ですよね。いっちょ間違うたらあぁた感電死するんですから、けれどもそれが扱えなければ一人前じゃない。はぁこれはもうしかし私はいつもの事ながら思うのです、御霊様の例えば何十年間という間、親がおってもまぁ放うから放うからしただけじゃないでしょうれども。
 そのうお祭りひとつされと事のなかった、その御霊様の事ですね。ですからそのう生の御霊様生きた御霊様、だからはぁこれはみてもほんなこて合楽ならではと私は思いました。たとえ生きた御霊様であってもですよ、こちらが死んでおったらぴりっともこんのですよ。電気がそうでしょうが、こちらがどんなに電流がそのう強い電流が通っておっても、枯れた木やら竹やらであったっちゃ全然電気は伝わってこないでしょうが。こちらに何がなしかの生きたものがあるからこそ、生きた御霊様を預かる言が出来。
 生きた神様への交流がいつも計る事が出来る訳なんです。おかげで少し楽になりましたから、丁度準備も出来ましたというのがもう、一時間位も遅れまして四時くらいになったでしょう。そしてここへ御神前につかして頂いて、神様の方の祝詞座に着かせて頂くのと、おなかがスキッとしたのとはもう一緒でした。もう私はそのうこりゃもういつも思うんですがね、はぁ痛いとか痒いとかいうことはもう絶対天地の親神様の自由自在だということですよ。どんなそれが病気であっても。
 そういうおかげを頂いてから、私お祭りが済んでから皆さんにそのう御挨拶させて頂くなかにですね、今日は実はこうこうじゃったと、けれどもやはり親の真心がね子供の三十年の式年祭を奉仕させて頂かれた、それが神様の喜んである事は間違いない、こう言う様な例えば事が今日あったと言うて話しましたら、安東さんが涙を流してから言われるんです。「先生実はねその腹の言わば、腹が痛みいわば腹のせき殺したようもんじゃったそうです。亡くなった子供が。
 しかもそれがあんまりせいてですね、頭に登ってから頭の痛い、頭と腹の病気で亡くなりました。」とこう言われる。ははぁ三十年前に亡くなられた病気の症状がね、私に現れとったということを感じますね。これは本当に助かっておる御霊様の場合はそういうことはないけれども、そういうですね放任したような御霊様の場合なんかはそういうことがあります。それは生きた御霊の働きをそういう場合感じる訳ですけどもですね。そういう例えば生きた働きということと同時にですね。
 まぁ私はここで皆さんに思う事は、生きた教えを頂いておるということです。それはナマコの様に生々しい。けれどもなかなかそれを本気で、元気な心で食べてみろうとしなければ、これは美味しいもんだという事は分からない。少こぅしこうお酒に入れ舐める様に食べて見たってほんなこっちゃ分らん。ナマコの味というものは本当に、あればがぶがぶ食べてみて初めて成る程天下一品の珍味であるなということが分かる。教えを取り組むということはそのくらい、そのう元気な心をもって取り組まなければ。
 いわば本当の味わいを信心の本当の味というものをです、頂き抜く事頂きこなす事は出来ない。そこにです金光大神の言う言に背かぬようよく守って信心せよ。守って信心するということは、そう言う様に難しい。けれども頂いてみてこんなに美味しい、こんなに有り難いと言う事になって来る時に、信心はこんなに容易いものこんなに美味しいものを、どうして皆んなが食べないのだろうかと言う事になって来る。こういう有り難い信心を、どうして皆んなが分かろうとしないのだろうか。
 本当にこの信心を分かって貰えるなら食べて貰えるなら。ほんなこて三味線太鼓で宣伝して回りたいごたる衝動にかられるごたると私が申します。本当にこれは実感です私の。私が言う通りの信心を皆さんがして下さるなら、本当に宣伝してでも回りたいごとあるけれども、実を言うたらそげなもんが食べられるかと頭からこなす。信心為に死んだと低級だと言う風にしか見らない。そこでんなら御神縁を頂いておる皆さん方だけでも、本気でそれを頂く気、金光大神の言われる事に背かぬように。
 本気で守らせてもらっての信心、それをまぁひとつの角度から、平田さんの場合は神、公、私ということを、平田さんの信心で確立しておられるその例をとりました。例えばなら教えは例えば行じられてない守られてないにしましてもです、神様の事こと、こと神様事であったら、何を置いても神、公、私でいくという、例えばこの一言だけでもそう容易いものとは思われない、けれどもそこから。
 先日秋永先生から聞かせて頂いたんですけれども、自分の方に沢山子供がおるが、学校にやってますがPTAの会合とか、父兄会なんかにもまだ一辺も家内とも私も行った事がなか言われる。教育ママ的な者がおって、いつも学校へ行って生と連絡を密にしなければ出来損なうちゅうてなんてんちゅうばってん、そげんとこの方が出来損のうて、私共の方にこれだけの子供がおるけれども。
 出来損のうたつはひとぉりもおらんと言わしゃったそうですよね。そう言う様な事はもう放からかしといて、信心の信の方を取って行かれたという例なんですよね。だからそんならそう言う事でも本気で行ずるということは、やはり容易いことじゃあない。けれどもそれを本気でやらして頂くところから、本当の味わいというものが頂けるのじゃないかとこう思うのです。
   どうぞ。